世界史
No.106 米ソの動揺と平和共存への転換

米ソの高まる緊張と緩和への転換

キューバ危機

#### アメリカ大統領ケネディの登場
1961年、アメリカでは民主党のケネディ が、初のカトリック教徒 の大統領として就任しました。
ケネディは「ニューフロンティア」というスローガンを掲げ、積極的な国内改革を推進しました
#### キューバ危機と核戦争の回避
1962年、ソ連がキューバにミサイル基地を建設していることが発覚しました。
この事態に、アメリカ大統領ケネディ は、ミサイル資材を運搬するソ連船を海上で封鎖しました。
米ソともに譲歩せず、核戦争に発展しかねない状況、所謂いわゆるキューバ危機 が発生しました。
ソ連艦上空を飛び、監視を続けるアメリカ戦闘機
ソ連艦上空を飛び、監視を続けるアメリカ戦闘機
キューバ危機は、ケネディとフルシチョフによる次の合意で回避されました。
アメリカ:キューバの内政への不干渉
ソ連:キューバのミサイル基地の撤去

核管理体制の強化

キューバ危機を経験した米ソは、核戦争の危機に直面したことで、次のように核管理体制を強化しました。
- 1963年、部分的核実験禁止条約 :::lead アメリカ・ソ連・イギリスが、地下実験を除き、核兵器実験を禁止した条約 ::: - 1968年、核拡散防止条約(NPT) :::lead 核兵器保有国をアメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中華人民共和国の五ヵ国に限定し、非保有国への核兵器譲渡や製造援助を禁止した条約 ::: - 1969年、第1次戦略兵器制限交渉(第1次SALTソルト) :::lead アメリカ大統領ニクソンと第一書記ブレジネフがおこなった、戦略ミサイルの数量の制限を目指した交渉 :::

アメリカの動揺

#### ケネディ政権期
1950年代から、アメリカではキング牧師が公民権運動を指導しました。
アメリカ大統領ケネディは、運動に理解を示し、公民権法を提案しました。
しかし1963年、ケネディ は南部遊説中に暗殺されました。
#### ジョンソン政権期
1963年、ケネディ が暗殺され、後継としてジョンソン が大統領に就任しました。
ジョンソンは、アメリカから差別と貧困をなくす「偉大な社会」計画を提唱しました。
1964年、公民権法 成立 :::lead 、公民権法 成立人種・宗教・性・出身国などによる差別を禁止する法
1965年、北ベトナムへの爆撃とベトナム戦争の開戦
1968年、キング牧師が暗殺され、人種暴動が発生

東側陣営の停滞

1964年、ソ連の首相兼第一書記フルシチョフが解任されました。
コスイギンがソ連首相に、ブレジネフ が第一書記に就任し、国内の自由化の進展を抑えました。
一方、他の社会主義国のなかでは、自由化の動きが進み始めました。
1968年、プラハの春 :::lead 、プラハの春 チェコスロヴァキア で民主化を求める運動が起こり、共産党書記長ドプチェク の下で自由化路線が進行
以降、社会主義国では改革が阻まれ、政治や経済が停滞しました。

ヨーロッパでの緊張緩和

米ソの緊張緩和の影響

キューバ危機後、米ソの緊張が緩和すると、その影響がヨーロッパに現れました。
1975年、全欧安全保障協力会議(CSCE) :::lead 、全欧安全保障協力会議(CSCE)アルバニアを除く全ヨーロッパ諸国、アメリカ、カナダの首脳がヘルシンキに集まり、主権尊重などをうたったヘルシンキ宣言を採択

西ドイツの東方外交

1969年、西ドイツで社会民主党を中心とする連立政権が成立しました。
西ドイツ首相ブラント は、ソ連や東欧諸国との関係改善を図る東方外交 を推進しました。

東西ドイツの接近

1972年末、西ドイツと東ドイツが相互承認し、1973年、両国の国際連合加盟が実現しました。

軍事政権・独裁体制の崩壊

1970年代、南ヨーロッパでは軍事政権や独裁体制が打倒されました。
#### ポルトガル
ポルトガルは、植民地での独立運動をうけ、体制が動揺しました。
1974年、ポルトガルの独裁体制が崩壊しました。
#### スペイン
1975年、スペインのフランコが死亡し、ファン=カルロス1世が後継に指名されました。
1978年、スペインは新憲法により民主的君主制に移行しました。
#### ギリシア
1967年以来、ギリシアは軍事政権になりました。
1975年、ギリシアは民主政に復帰しました。