世界史No.22 草原の民、オアシスの民
遊牧国家の形成
騎馬遊牧民
アジアの内陸の草原地帯は、乾燥した気候のために農耕に向いていませんでした。
人々は、羊・牛・馬などの家畜を育て、草水を求めて季節的に移動する生活を営みました。
このような暮らしを営む人々を、遊牧民と呼びます。
前9世紀頃には、勝れた騎馬の技術を活かし農耕地帯に侵入する、騎馬遊牧民が登場しました。
この騎馬遊牧民の動きは、世界史のなかで大きな影響をもちました。
「草原の道」
遊牧民は、ユーラシアの東西を結ぶ交易や文化交流にも貢献しました。
この交易・交流のルートは「草原の道」と呼ばれています。
最初の遊牧国家
前6世紀、騎馬遊牧民スキタイが南ロシアの草原地帯に遊牧民による最初の国家を築きました。
スキタイの支配拠点
匈奴の統率者は単于と呼ばれました。
匈奴
前3世紀末、冒頓単于が即位し、匈奴は最盛期を迎えました。
冒頓単于率いる匈奴は、西方の月氏や東方の漢を圧迫しました。
漢の高祖は、匈奴に敗れて婚姻関係を結ぶなど和親を図りました。
しかし、漢の武帝が匈奴の勢力を北に退けたため、匈奴は衰えて前1世紀頃に東西に分裂しました。
ユーラシア全域の変動
4世紀、西晋内部の混乱を契機に、華北では五胡と呼ばれる諸遊牧民が次々と国を建てました。
五胡の一遊牧民である鮮卑が北魏を建国し、華北を統一しました。
後にこの移動は、ゲルマン人の大移動の遠因となっていきます。
また、モンゴル高原には柔然・突厥・ウイグルなどの遊牧国家が出現します。
このうち柔然は、5世紀に強勢を誇りますが、突厥に滅ぼされました。
オアシスの民
オアシス都市と「オアシスの道」
乾燥した砂漠・草原地帯のなかで、人々は水を利用できるオアシスに定住し、生活を営んできました。
形成されたオアシス都市は別のオアシス都市と結ばれ、その点々とあるオアシス都市を人々が往来し、「オアシスの道」が形づくられました。
数あるオアシス都市のなかでも、サマルカンドは、東西交易に活躍したソグド人の中心都市として栄えました。

銀胡人像(匈奴の像)
オアシスの民と遊牧民
オアシス都市の資源や交易の利益は、周辺の国家から狙われました。
ただし、遊牧国家はオアシス都市に対して略奪や支配をおこなう一方で、自分たちの畜産物を彼らの穀物や織物と交換するなど、互恵的な関係も結びました。
