世界史No.23 騎馬遊牧民と中国
三国時代から五胡十六国時代へ
三国時代
3世紀初頭に中国で黄巾の乱が起きて以降、各地に軍事集団が現れ、混乱が生じていました。
220年、曹操の子曹丕が後漢の皇帝から位を譲られ、華北に魏を建国しました。
これをうけ、孫権が長江下流域に呉を、劉備が内陸の四川に蜀を建国しました。
3世紀前半の中国は、魏・呉・蜀が三分する三国時代に入りました。
三国時代
分立の終わり
魏が最も優勢になり、蜀を滅ぼしました。
しかし、魏では司馬炎が国を奪い、265年、魏に替わる晋(西晋)を建てました。
西晋
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復興後の晋と区別するための呼称
晋
乱のなかで晋は匈奴に滅ぼされました。
しかし、皇帝一族の司馬睿が現在の南京にあたる建康で即位し、晋(東晋)を復興させました。
東晋
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復興前の晋と区別するための呼称
西晋滅亡・東晋復興の混乱のなか、華北には匈奴など五胡が進出し、国家を建国しました。
多くの国家が興亡を繰り返し、それら国家は五胡十六国と総称されます。
騎馬遊牧民の動向
五胡十六国時代まで
前1世紀、匈奴は漢の武帝に敗れた後、東西に分裂しました。
さらに1世紀、匈奴は南北に分裂しました。
匈奴の分裂に乗じて、他の遊牧民の活動も始まりました。
中国から見て、北方に匈奴の一派である羯が、東北に鮮卑が、西方に氐・羌が勢力を形成しました。
匈奴を含めたこの5つの遊牧民は五胡と呼ばれ、たびたび中国に侵入しました。
4世紀以降、五胡が華北に進出して国を建てますが長続きせず、諸国が興亡を繰り返す五胡十六国時代に入ります。
五胡十六国の統一
5世紀、鮮卑出身の拓跋氏が建てた北魏の太武帝が、華北を統一しました。
北魏
北魏は漢化政策への反発で内部分裂し、西魏と東魏に分裂しました。
均田制
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後に隋・唐にも継承される制度で、北魏では女性にも土地を分与
西魏は北周に倒され、東魏は北斉に倒されました。
北斉は北周に倒されました。
北魏から北周までの5つの王朝を北朝と呼びます。
5世紀、東晋の劉裕が実権を握り、東晋に替わる宋を建国しました。
その後、宋に替わって、斉・梁・陳の王朝と順に興亡しました。
宋から陳までの4つの王朝を南朝と呼びます。
南北朝時代
