世界史No.39 西ヨーロッパの国々
イギリス(イングランド)・フランス
イギリス(イングランド)
#### ノルマン朝1066年、ウィリアム1世がイングランドにノルマン朝を建てました。
王位をめぐる内紛で短期に終わりました。
ウィリアム
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イングランド王国国王でありながら、フランス国王の家臣ノルマンディー公という立場
イギリス
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便宜上イングランド王国を指す意味で使用
#### プランタジネット朝
1154年、母方にイングランド国王の血統をもつフランスのアンジュー伯がヘンリ2世 として即位し、プランタジネット朝 を建てました。
ヘンリ2世の治世下、プランタジネット朝はフランス西半部をも領有しました。
ヘンリ2世
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父方にフランスの貴族、母方にイングランド国王の血統をもつ出自で、フランス出身
ヘンリ2世の子ジョン王は、フランス国王フィリップ2世と争い、フランスにあった領地の大半を失いました 。
また、ジョン王は、教皇インノケンティウス3世と対立し破門されました。
ジョン王は財政難に直面し、重税を課すことを試みました。
1215年、大憲章 (マグナ=カルタ)
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、大憲章 (マグナ=カルタ)ジョン王 が課税に反対する貴族に強いられて認めた文書
ジョン王の子ヘンリ3世 は大憲章を無視しました。
ヘンリ3世の行為は、1265年、シモン=ド=モンフォール による反乱を招きました。
この反乱は、州騎士と市民代表が参加する諮問会議をヘンリ3世に認めさせました。
1295年、ヘンリ3世の子エドワード1世は、イングランドで 模範議会 を開きました。
構成員に州騎士・市民代表を加え、当時の社会要請に応えた模範的構成
14世紀半ば、議会は高位聖職者と大貴族を代表する上院と、州と都市を代表する下院に分かれました。
イギリスの騎士は、早くから軍事的役割を失い、地方の地主階級ジェントリ(郷紳)となり、下院の勢力となっていました。
法律の制定や新課税には、この下院の承認が必要になりました。
フランス
#### カペー朝パリ伯ユーグ=カペーが王位につき、フランスにカペー朝を開きました。
当初カペー朝の力は、北フランスの一部にしか及びませんでした。
12世紀末、国王フィリップ2世 は、ジョン王 と戦い、フランス国内のイギリス領の大半を奪いました。
また、インノケンティウス3世 と対立しました。
13世紀、ルイ9世 はキリスト教異端のアルビジョワ派(カタリ派)を征服して勢力を南フランスにも広げました。
カペー朝のフィリップ4世は、聖職者課税問題をめぐって ローマ教皇ボニファティウス8世 と争いました。
この対立の際、フィリップ4世は国内の支持を得るため、聖職者・貴族・平民が出席する三部会 をはじめて召集しました。
#### ヴァロワ朝
イギリスとの百年戦争が終結しました。
戦争後、常備軍を設置して中央集権化を進めました 。
百年戦争
1328年、フランスでカペー朝が断絶し、新たにヴァロワ朝が建ちました。
イギリス(イングランド)とフランスは次の2つの争点で百年戦争を始めました。
- フランスが毛織物生産の盛んなフランドル地方を欲し、この地方に羊毛を輸出するイギリスがフランスを警戒
- カペー朝断絶の際、イングランド国王エドワード3世が母方がフランスのカペー朝出身であることを理由に王位継承権を主張
1339~1453年、百年戦争
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1453年、百年戦争 フランドル地方とフランスの王位継承をめぐる争いで イギリスとフランスが開戦し、最後はフランスが勝利
#### 百年戦争の展開
- クレシーの戦いでイギリスのエドワード黒太子率いる長弓隊(弓兵)が活躍して勝利
- 戦争中にフランスではジャックリーの乱が起きて崩壊寸前
- 戦争末期、フランスで神の託宣を受けたというジャンヌ=ダルクが現れ、オルレアンの包囲を破ってイギリス軍を打破
- 戦局がフランス優勢になり、最後はフランスが勝利

ノルマン朝*一部省略

プランタジネット朝*一部省略
長期の戦争でフランスの諸侯・騎士は没落しました。
一方で、シャルル7世の時代には常備軍を設置されるなど中央集権化が進みました
バラ戦争
1455~85年、バラ戦争
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85年、バラ戦争 百年戦争後、イギリス (イングランド)で起こったランカスター家・ヨーク家による王位継承の内乱
バラ戦争
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ランカスター家の記章(バッジ)が赤バラ、ヨーク家の記章が白バラであったため
1485年、内乱を治めたヘンリがヘンリ7世 として即位し、イングランド王国のテューダー朝 を開きました。
ヘンリ7世は、星室庁裁判所 をおき、反抗する貴族を処罰しました。
星室庁裁判所
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所ウェストミンスター宮殿の「星の間」でおこなわれたため
スペイン・ポルトガル
国土回復とスペイン王国の成立
8世紀、ウマイヤ朝がイベリア半島の西ゴート王国を滅ぼしました。
ウマイヤ朝滅亡後、イベリア半島には後ウマイヤ朝が建てられました。
以後、キリスト教国は国土回復運動(レコンキスタ)続けました。
奪い返した領土には、次の3王国が建てられました。
- イベリア半島北西部のカスティリャ王国
- イベリア半島北東部のアラゴン王国
- イベリア半島南西部のポルトガル王国
1469年、カスティリャ王女イサベルとアラゴン王子フェルナンドが結婚しました。
この結婚でカスティリャ王国とアラゴン 王国が統合され、1479年、共同統治によるスペイン王国 が成立しました。
スペイン
1492年、スペインはイスラーム王朝のナスル 朝の拠点グラナダを陥落させました。
イベリア半島の国土回復運動が果たされました。
ポルトガル
12世紀、ポルトガルはカスティリャから独立しました。
15世紀、国王ジョアン2世が貴族の反乱を鎮めて王権を強化しました。
ドイツ・スイス・イタリア・北欧
神聖ローマ帝国
#### 諸侯の分立神聖ローマ帝国があったドイツでは、大諸侯と自由都市が独立勢力となっていました。
さらに歴代の皇帝は、イタリア政策のために帝国を留守にしがちで、国内統治が疎かでした。
シュタウフェン朝断絶後、皇帝不在の大空位時代に政治的混乱は頂点に達しました。
イタリア政策
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策10~13世紀、神聖ローマ帝国皇帝がおこなったイタリアへの攻略・干渉政策
1356年、神聖ローマ帝国皇帝カール4世 は金印勅書 (黄金文書)を発布しました。
勅書で、聖俗の諸侯7人に皇帝選出権を認めました 。
これは皇帝に対する諸侯の優位を法的に認めたもので、ドイツにおける諸侯の分立を助長しました 。
#### ハプスブルク家
14世紀以降、神聖ローマ帝国の大諸侯の領地が、主権をもつ領邦として力を伸ばしました。
15世紀以降、神聖ローマ帝国皇帝の位はハプスブルク家 が独占しました。
ハプスブルク家
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ク家13世紀に南ドイツで最も有力となった貴族で、各国の王家との結婚によって勢力を伸張
#### 東方植民
12~14世紀、ドイツ人によるエルベ川以東への植民(東方植民)がおこなわれました。
植民が進んだ地には、ブランデンブルク辺境伯領やドイツ騎士団領がつくられました。
15世紀以降、この地方では西ヨーロッパに向けの穀物生産がおこなわれました。
スイス
13世紀末、スイス地方の農民がハプスブルク家に反抗し、今日のスイス連邦の母体をつくりました。
1499年、神聖ローマ帝国から事実上独立しました。
1648年、三十年戦争の講和条約ウェストファリア条約 で神聖ローマ帝国からの独立が承認されました。
イタリア
イタリアは、多数の国・諸侯・都市に分かれていました。
南部
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両シチリア王国がシチリア王国とナポリ王国に分裂
中部
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教皇領
北部
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ヴェネツィア・フィレンツェ・ジェノヴァ・ミラノなどの都市国家
神聖ローマ帝国皇帝がイタリア政策で介入してくると、イタリアでは教皇党 (ゲルフ )と皇帝党 (ギベリン )が互いに争い、分裂状態が続きました。
北欧
14世紀末、デンマーク 王(女王マルグレーテ)の主導で、デンマーク・スウェーデン ・ノルウェーがカルマル同盟 を結びました。
この同盟により、複数の独立国が1人の君主をいただく同君連合が成立しました。
バルト海北東に住むフィン人は、13世紀、スウェーデンによって征服されました。
