世界史
No.54 ヨーロッパ諸国の抗争

ハプスブルク家とスペイン

ハプスブルク家とフランス王家の対立

15世紀末以降、教皇領と小国家に分裂していたイタリア半島は、主要な争いの舞台になりました。
1494~1559年、イタリア戦争 :::lead 1559年、イタリア戦争イタリア支配をめぐる神聖ローマ帝国皇帝(ハプスブルク家出身)とフランス王の戦い
1559年、カトー=カンブレジ条約 :::lead 、カトー=カンブレジ条約イタリア戦争の講和条約で、フランスがイタリア進出を断念
イタリア戦争終結後も、18世紀半ばまでハプスブルク家とフランス王家の対立は、重要な対立軸となりました。

スペインの最盛期

15世紀、オーストリアのハプスブルク家は、ネーデルランドを婚姻関係で獲得しました。
ハプスブルク家は、さらにスペイン王位も継承しました。
#### カルロス1世(カール5世)の治世
1519年、ハプスブルク家出身のスペイン王カルロス1世 が、神聖ローマ帝国皇帝カール5世 に選出されました。
カルロス1世は、神聖ローマ帝国皇帝の立場上、次の出来事の対応に追われました。
- 1529年、第1次ウィーン包囲 :::lead オスマン帝国がハプスブルク家の拠点であるウィーンを攻撃 ::: - 1494~1559年、イタリア戦争 :::lead イタリア支配をめぐる神聖ローマ帝国皇帝とフランス王の戦い :::
カルロス1世の治世下、コルテスのアステカ王国征服、ピサロのインカ帝国征服がおこなわれました。
しかし、ラテンアメリカで獲得した銀も戦争と宮廷の維持に使われ、国を豊かにできませんでした。
#### フェリペ2世の治世
1556年、スペイン系のフェリペ2世がスペイン王になりました。
フェリペ2世の治世下、スペインは次の出来事で最盛期を迎えました
- 1571年、レパントの海戦 :::lead スペインがオスマン帝国を破り、その脅威を一時緩和 ::: - 1580年以降、フェリペ2世がポルトガル王を兼任 :::lead ポルトガルを併合し、その植民地を支配下においたスペインは、「太陽の沈まぬ国」を実現 ::: - 1568~1609年、オランダ独立戦争 :::lead カトリック旧教)を強制するフェリペ2世の圧政に、ネーデルラントが対抗 ::: - 1588年、イギリスに敗北 :::lead ネーデルラントの反乱を支援したイギリスに、スペインが無敵艦隊(アルマダ)を派遣したが敗北 :::
オランダ・イギリスなど貿易面でも押され、スペインの国力は低下していきました。

オランダの独立と興隆

オランダ独立戦争

ネーデルラントは中世以来商工業が盛んで、16世紀にはカルヴァン 派の信仰が広まりました。
スペイン王フェリペ2世 は、支配下のネーデルラントに、カトリック 旧教 )を強制しました。
1568年、ネーデルラントの諸州が、自治権の没収に対して反乱しました。
1568~1609年、オランダ独立戦争
1579年、ネーデルラント北部7州がユトレヒト同盟 を結成し、スペイン に抵抗しました。
1581年、北部7州がネーデルラント連邦共和国(オランダ)として独立を宣言しました。
オランダ :::lead ネーデルラント連邦共和国の中心ホラント州に由来
独立宣言後、オラニエ公ウィレムが初代総督に就任
イギリスのエリザベス1世は、独立を宣言したユトレヒト同盟を支援
1609年、オランダ独立戦争は休戦条約で終結し、オランダが事実上の独立を獲得しました。
1648年、ウェストファリア条約で独立を国際的に承認

オランダの興隆

オランダは造船技術を武器に、バルト海貿易を掌握し、富を蓄えました。
17世紀初め、オランダは東インド会社 を設立し、香辛料貿易の独占を目指しました。
17世紀 、オランダのアムステルダムが、国際金融の中心地として栄えました。

イギリスの海外進出

イギリスの王政と議会

イギリスの王権はテューダー朝のもとで強化されました。
しかし国王は、議会においてジェントリ(郷紳)の協力が必要でした。
例えば、宗教改革も議会立法を通じて達成されています。

エリザベス1世の治世

#### イギリス国教会の確立
1559年、エリザベス1世は統一法 を制定して礼拝の統一を図り、イギリス国教会を確立しました。
#### オランダの独立支援
エリザベス1世は、スペイン弱体化を目的に、独立を宣言したユトレヒト同盟を支援しました。
1588年、イギリスはスペインの無敵艦隊 勝利しました
ドレーク :::lead 1577~80年に世界周航を達成し、無敵艦隊との戦いで活躍した航海者
#### 東インド会社の設立
16世紀前後 牧羊のために 、地主が農民から農地を取り上げて生垣や塀で囲む第1次囲い込み が進みました。
結果、エリザベス1世の時代に毛織物工業が繁栄しました
これを背景に、1600年、東インド会社 が設立され、積極的な海外進出が開始されました。

フランスの宗教内乱

ユグノー戦争

百年戦争の結果、フランスは国内のイギリス領をほぼ一掃し、中央集権化を進めました。
16世紀半ば、フランスのカルヴァン派はユグノーと呼ばれ、無視できない勢力になりました。
1562~98年、ユグノー戦争 :::lead 98年、ユグノー戦争 フランスで新旧両教徒の対立が激化し、内乱が発生
サン=バルテルミの虐殺
サン=バルテルミの虐殺
新教徒のアンリ4世は、旧教に改宗することで宗教的対立の解決を図りました。
1598年、ナントの王令 ナントの勅令) :::lead 、ナントの王令 ナントの勅令アンリ4世 が発布し、フランスのカルヴァン派(ユグノー)に信仰の自由を許可
1604年、アンリ4世は東インド会社 を創設しました。
しかし、東インド会社は経営に失敗して解散しました。
1664年、ルイ14世の親政でコルベールが再建
ルイ13世の宰相リシュリュー は、王権の強化に努め、また三十年戦争に干渉しました。
三十年戦争において、リシュリューはプロテスタント陣営を支援し 、ハプスブルク家に対抗しました。
アカデミー=フランセーズ(フランス学士院) :::lead =フランセーズ(フランス学士院)宰相リシュリュー が創設した文学の学士院
カペー朝からブルボン朝まで
カペー朝からブルボン朝まで