世界史
No.58 啓蒙専制主義とポーランド分割

プロイセン

プロイセン王国の成立

17世紀初め、ホーエンツォレルン 家のブランデンブルク 選帝侯国がプロイセン公国を併合しました。
1701年、プロイセン公国が王国に昇格しました。
以降、公国を併合していたブランデンブルク選帝侯国を含め、プロイセン王国と呼ぶようになりました。

フリードリヒ=ヴィルヘルム1世の治世

プロイセン2代目の王フリードリヒ=ヴィルヘルム1世 は、軍備を増強し,絶対王政の基礎を築きました。

フリードリヒ2世の治世(啓蒙専制君主)

1740年、オーストリアのマリア=テレジアが、ハプスブルク家の全領土を継承しました。
各国君主は彼女を侮り、その継承を否定しました。
特にプロイセンのフリードリヒ2世 は、その領土内のシュレジエンの権利を主張して占領しました。
1740~48年、オーストリア継承戦争 :::lead 48年、オーストリア継承戦争フランス と結んだプロイセンが、イギリスに支援されたオーストリアと戦争
オーストリア継承戦争後、ハプスブルク家のマリア=テレジアは、シュレジエン の奪回を目指しました。
マリア=テレジアは、長く敵対関係にあったフランス と手を結ぶ外交革命 を実現しました。
1756~63年、七年戦争 :::lead 63年、七年戦争 イギリスの支援を得たプロイセンが、フランス と同盟したオーストリアと戦争
#### 啓蒙専制主義
君主主導で自国の近代化・強国化を進める体制を啓蒙専制主義と呼びます。
フリードリヒ2世は、「君主は国家第一の僕」を自称し、ヴォルテールなど啓蒙思想家に影響を受けた啓蒙専制君主でした
また、啓蒙専制君主として知られるフリードリヒ2世は、バッハ を宮廷に招きました。
啓蒙専制君主 :::lead 主ほかにヨーゼフ2世・エカチェリーナ2世が代表的
統治にはユンカーの力を頼ったため、農民の地位の改善は進みませんでした。

オーストリア

マリア=テレジアの治世

1740年、オーストリアのマリア=テレジアが、ハプスブルク家の全領土を継承しました。
マリア=テレジアは、プロイセンのフリードリヒ2世に対して、次の戦争・外交を展開しました。
- 1740~48年、オーストリア継承戦争 - 敵対していたフランスと同盟(外交革命) - 1756~63年、七年戦争

ヨーゼフ2世の治世(啓蒙専制君主)

マリア=テレジアの子ヨーゼフ2世 は、啓蒙専制君主として諸改革を押し進めました。
ヨーゼフ2世の画一的改革は、支配地域の民族感情の反発を招きました。

ロシア

農奴の不満

西欧で農奴の解放が進む一方、近世のロシアでは農奴制が強化されました。
1630~71年、ステンカ=ラージンの乱 :::lead 71年、ステンカ=ラージンの乱 ステンカ=ラージンを首領として、自由を求めるロシアの農民が 起こした反乱
ピョートル1世とエカチェリーナ2世 の治世下、農奴制が強化されました

ピョートル1世の治世

1682年、ピョートル1世が帝位につきました。
ピョートル1世は自ら西欧諸国を視察し、ロシアの西欧化政策を実施しました
#### 国境画定と通商開始
ピョートル1世は、軍備拡大を背景にシベリア経営を進めました。
1689年、ネルチンスク条約 :::lead 、ネルチンスク条約 ロシアのピョートル1世と康熙帝 との間で、通商とシベリアでの国境を決めた条約
#### 「海への出口」の確保
1700~21年、北方戦争 :::lead 21年、北方戦争 ロシアのピョートル1世がスウェーデン に勝利し、バルト 海への出口を確保した戦争
::double
部下のあごひげを切るピョートル1世

エカチェリーナ2世の治世(啓蒙専制君主)

18世紀後半、エカチェリーナ2世が帝位につきました。
治世の初期、エカチェリーナ2世は啓蒙専制君主として 様々な改革を試みました。
#### 領土の拡張
エカチェリーナ2世は、次のような領土拡張に努めました。
- 1772~95年、ポーランド分割 - 1783年、オスマン帝国からクリミア半島を獲得(黒海沿岸まで領土拡大) #### 農民の反乱
1773~75年、プガチョフの乱 :::lead 75年、プガチョフの乱 プガチョフが自らロシア皇帝と名乗って起こした農民の反乱
反乱後、エカチェリーナ2世は、農奴制が強化されました

ポーランド

ポーランド分割

ポーランドは、16世紀後半のヤゲウォ 朝断絶後、選挙王制 をとりました。
この制度は貴族の専横と外国の干渉を招きました。
選挙王制 :::lead 貴族による国王選出の制度で、外国の王族出身者からも選出可
18世紀後半、ポーランドは、プロイセン・オーストリア(第2回除く)・ロシア エカチェリーナ2世 の治世)による3度のポーランド分割 に苦しみました。
- 1772年、第1回ポーランド分割 - 1793年、第2回ポーランド分割 - 1795年、第3回ポーランド分割
ポーランド分割の結果、ポーランドという国家は消滅しました。
ポーランドの復興は第一次世界大戦後
ポーランド分割の風刺画
第1回ポーランド分割の風刺画*左からエカチェリーナ2世、ポーランド王、オーストリア大公ヨーゼフ2世、プロイセン王フリードリヒ2世
抵抗はロシアによって鎮圧され、失敗に終わりました。