世界史No.78 東南アジアの植民地化
植民地化
ジャワ島
#### ジャワ島の征服1623年、アンボイナ事件
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、アンボイナ事件 インドネシアのモルッカ諸島で、オランダ人がイギリス商館員を虐殺した事件
モルッカ諸島
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島別名は香料諸島(スパイス諸島)
アンボイナ事件後、オランダ はジャワ島へ進出し始めました。
18世紀半ば、オランダはマタラム王国を滅ぼしました。
これにより、オランダはジャワ島の大半を支配下に置きました。
#### ジャワ島の経営
19世紀、オランダはジャワ島の住民にコーヒー・サトウキビ・藍を 生産させました。
1825~30年、ジャワ戦争
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30年、ジャワ戦争オランダの暴政に対するジャワ島の大反乱
1830年以降、オランダはジャワ島の住民にコーヒーなどを生産させ、安価で買い上げる強制栽培制度 を導入しました。
オランダは莫大な利益をあげ 、一方でジャワ島は飢饉で苦しみました。
マレー半島
#### マレー連合州18世紀末からイギリスはマレー半島に進出しました。
さらに、オランダが支配するジャワ島を一時占領しました。
1824年、イギリスはオランダと協定を結び、ジャワ島を返還して、今後のマレー半島での支配拡大を認めさせました。
1826年、イギリス はマレー半島沿岸のマラッカ・ペナン・シンガポールを拠点に、海峡植民地 を形成しました。
海峡植民地
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当初は東インド会社の管轄で、1867年以降にイギリス本国の直轄領
1895年、イギリスはマレー半島内部の国々を保護国化し、マレー連合州 (マライ連邦)を結成させました。
#### マレー半島の経営
イギリス は、マレー半島にゴム 栽培のプランテーションを形成しました。
プランテーションの労働者として、南インドから大量の移民が導入されました。
ビルマ
1752年、コンバウン朝 がビルマ(現ミャンマー)におこりました。
1824~86年、ビルマ戦争
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86年、ビルマ戦争 イギリスとコンバウン朝の3回にわたる戦争
フィリピン
16世紀後半以降、フィリピンはスペイン の植民地とされました。
スペインは、フィリピン人をキリスト教の宗派の一つカトリック に改宗させました。
1834年、スペインは自由貿易をおこなうため、マニラを開港しました。
商人や高利貸しが土地を集め、サトウキビ・麻・タバコなどのプランテーションを形成しました。
ベトナム・カンボジア・ラオス
#### 阮朝の成立16世紀以降、ベトナムでは黎朝の名目的支配のもとで鄭氏・阮氏が対抗を続けました。
1771年、西山の乱
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、西山の乱鄭氏・阮氏、黎朝を滅ぼし、ベトナムを統一させた農民反乱
1802年、阮氏の生き残りの阮福暎 が、フランス人宣教師ピニョーの協力を得て西山政権を倒し、阮朝 (越南 )を興しました。
1804年、阮福暎は清によってベトナム国王に封ぜられました。
#### フランスの進出
19世紀半ば、フランスはカトリック教徒への迫害を理由に、ベトナムに軍事介入しました。
1867年、フランスはベトナム南部を奪いました。
ベトナム北部では、劉永福 が組織した黒旗軍が、フランス の植民地支配に抵抗しました。
フランスはこの抵抗も口実にして北部に進出しました。
1883年、ユエ条約
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、ユエ条約 フランスがベトナムを保護国とした条約
1884~85年、清仏戦争
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85年、清仏戦争 ベトナム への宗主権を主張する清朝が、フランスがベトナムを保護国化したことに 反対して宣戦布告
1885年、天津条約
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、天津条約 清朝が、フランスによるベトナムの保護国化を認めた条約
1887年、フランスは保護国化したベトナムとカンボジア (1863年、保護国化)を併せてフランス領インドシナ連邦 を成立させました。
フランス領インドシナ連邦成立後の1899年、ラオス が編入されました。

フランス領インドシナ
19世紀前半まで、ラタナコーシン朝はヨーロッパ諸国に閉鎖的な政策を採りました。
しかし19世紀後半、ヨーロッパ諸国の圧力をうけ、国王ラーマ4世は自由貿易を受け入れました。
ラタナコーシン朝国王ラーマ5世 (チュラロンコン)は、次の状況と政策で植民地化を回避しました。
- タイがイギリス・フランス両勢力の緩衝地帯に位置
- 外国留学や外国人専門家の招致で近代化政策を推進