世界史No.80 清と日本の近代化
清の動乱と近代化
各地の動乱
アヘン戦争後、清には重税による窮乏化と王朝の統治への不安が広がりました。
様々な宗教結社が生まれ、清の民衆の生活を守ろうと動きました。
「反清復明」を掲げる政治的な結社も存在
例えば、キリストの弟と称する洪秀全 は、上帝会(拝上帝会)という宗教結社を組織しました。
上帝会は、儒教を攻撃し、また、民間信仰の偶像を破壊したため、弾圧を受けました。
上帝
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ヤハウェを意味し、上帝会の信仰の対象
1851〜64年、太平天国の乱
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64年、太平天国の乱洪秀全 が上帝会を母体に太平天国という国を樹立して挙兵
- 男女の平等
- 辮髪の廃止
- 纏足の廃止
- アヘン吸飲
- 土地を均分する天朝田畝制度の導入
- 曾国藩:湘軍
- 李鴻章:淮軍
滅満興漢
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満州族の清を打倒し、漢民族の国を興すという意味
長髪賊
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onclick="chg(this)" class="all">長髪賊 清側からの太平天国の呼称で、太平天国が満州族の辮髪を嫌って長髪にした ため
太平天国の乱は、清の中央官僚や正規軍の無力さを明らかにしました。
結果、鎮圧に貢献した漢人の地方官僚が台頭しました。
伝統を維持した近代化
太平天国の乱後、清は一時的に国内の秩序を取り戻しました。
同治帝の治世でのこの安定期を「同治の中興」と呼びます。
同治の中興 に、曾国藩 ・李鴻章 ・左宗棠 など太平天国の鎮圧を機に台頭した漢人官僚が 、西洋の技術のみを導入した近代化の推進洋務運動 を始めました。
この運動は、中国伝統の思想・制度を根幹(体)に据えて変えず、西洋の技術を運用する中体西用 の立場をとりました。
清の法・制度は変わらず 、日本の近代化と差が生じることになりました。
日本の開国と明治維新
開国
1853年、アメリカ海軍軍人ペリーが浦賀に来航し、これを契機に日本は開国に向かいました。
- 1854年、日米和親条約
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再度来航したペリーが江戸幕府と締結した和親条約
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- 1858年、日米修好通商条約
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アメリカ総領事ハリスが江戸幕府と締結した不平等条約
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開国の是非をめぐる争いと倒幕運動を経て、1868年、天皇親政の明治政府が成立しました。
西洋に倣った近代化
日本の明治政府は、思想・制度を含めて、西洋に倣った近代化を目指しました。
この目標は、ドイツ憲法を手本とした大日本帝国憲法の発布をもって、ひとまず達成されました。
国境の画定
#### ロシアとの国境1875年、樺太・千島交換条約
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、樺太・千島交換条約 日本とロシアが結んだ国境画定条約
#### 琉球王国の帰属
17世紀初め、琉球王国は日本の薩摩藩の大名島津氏に服属しました。
琉球王国は中国への朝貢を続け 、日本と中国の両方に服属する状態となりました。
1874年、台湾出兵
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、台湾出兵 1871年、琉球王国の漂流民の殺害事件を理由に 、明治政府は「琉球民は日本国民」と主張して、台湾に軍を出兵した出来事
この一件で、新政府は「琉球王国が日本に属すと示す事実」ができたと確信しました。
1879年、明治政府は琉球王国を沖縄県 として編入しました。
