世界史No.81 東アジアの国際秩序の再編
清と朝鮮の動向
清の外交
#### 外交担当の役所歴代の中国王朝は、中華思想に基づき、外国を国内の延長のように考えました。
従って、外交を専任する役所がありませんでした。
北京条約で外国公使の駐在が決まり、1861年、清は外交担当の総理各国事務衙門 (総理衙門)を設置しました。
#### 周辺地域との分離
欧米諸国は、清の支配が名目的にしか及んでいなかった次の地域を領有していきました。
- 1879年、日本による琉球王国の編入
- 1884~85年、清仏戦争
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ベトナムへの宗主権を主張する清朝が、フランスがベトナムを保護国化したことに反対して宣戦布告
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朝鮮の動揺
#### 国内の混乱1811~12年、洪景来の乱
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12年、洪景来の乱洪景来が不平をもつ官僚と窮乏した農民を指導して挙兵
#### 強制的な開国
17世紀以降、朝鮮は清・江戸幕府とだけ外交関係をもちました。
1860年代、欧米諸国は朝鮮に開国を求めました。
朝鮮国王高宗の摂政大院君 は、鎖国体制を堅持し、開国を拒みました 。
江戸幕府が倒れ明治政府が成立すると、朝鮮は日本との外交も拒否
1873年以降、大院君に代わって王妃の一族である閔氏が朝鮮の政権を掌握
1875年、江華島事件
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、江華島事件 日本の軍艦雲揚が、朝鮮半島沿岸の測量中に、江華島で砲撃された事件
1876年、日朝修好条規
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、日朝修好条規 江華島事件の折衝で日本が朝鮮に開国を迫り、締結した不平等条約
独立か否か
17世紀以降、朝鮮は清に宗主国として従属しました。
19世紀の開国後、朝鮮では次の2派が対立しました。
親清派:清を宗主国とする現体制の維持を主張
親日派:清への依存を止めて独立し、日本に接近して近代化すべきと主張
1882年、壬午軍乱
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、壬午軍乱 大院君が、閔氏に反発して軍隊を動かした反乱
1884年、甲申事変
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、甲申事変 朝鮮の独立を望む親日派の金玉均きんぎょくきん が、清仏戦争での清敗北を機に、政権奪取を目指した事件
日本の危機意識
朝鮮半島の動向は、日本の領土の防衛に直接影響すると考えられていました。
日本は、欧米列強の侵略やロシアの南下が朝鮮半島に及ぶことを恐れ、朝鮮が清への依存を止め、自主的に文明化を遂げることに期待しました。
日本の懸念
壬午軍乱・甲申事変を通じて、まずは朝鮮の清への依存を武力で断ち切り、朝鮮の近代化を導こうとする主張が、日本国内で強まりました。
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日清戦争
日本と清の関係修繕
1885年、天津条約
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、天津条約日本と清が、甲申事変への関与で悪化した関係の修繕のために締結した条約
日清戦争の開戦
1894年、甲午農民戦争 (東学の乱)
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、甲午農民戦争 (東学の乱)東学 を奉じる全琫準らが朝鮮で起こした反乱
東学
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キリスト教(西学)に対する朝鮮の新興宗教の呼称
1894~95年、日清戦争
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95年、日清戦争 甲午農民戦争を機に出兵した清・日本両軍が、朝鮮への影響力をめぐって衝突した戦争
1895年、下関条約
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、下関条約日清戦争の講和条約
- 清が朝鮮の宗主国であることを否定し、その独立を承認
- 遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲与
- 賠償金の支払い
大国の圧力と対ロシアの敵意
1895年、三国干渉
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、三国干渉 ドイツ ・フランス ・ロシア が、日本に遼東半島を清へ返還するように勧告した事件
勧告を受け入れ返還した日本では、対ロシアの敵意が増大しました。
