世界史No.84 ラテンアメリカへの圧力と列強の二極化
ラテンアメリカ諸国の動向と革命
独立後のラテンアメリカ諸国
1804年、歴史上初の黒人共和国ハイチ が誕生しました。
これを皮切りに、1810~20年代、ラテンアメリカに多くの独立国が生まれました。

ハイチ
19世紀末、欧米諸国の重工業化は、ラテンアメリカの原料・食料の輸出を一層促しました。
アメリカ合衆国の影響拡大
1889年、第1回パン=アメリカ会議
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、第1回パン=アメリカ会議 アメリカ大陸の諸問題について討議する国際会議
メキシコ革命とその影響
#### アメリカ=メキシコ戦争1846~48年、アメリカ=メキシコ戦争
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48年、アメリカ=メキシコ戦争 戦争前の1845年、アメリカ合衆国がテキサス を併合したことに、メキシコが反対して開戦
戦争後、メキシコでは自由党のフアレス政権が教会の土地所有の禁止などの改革をおこないました。
1860年代、保守党の反乱に乗じてフランスのナポレオン3世が内政に干渉しようとしました。
この干渉は、アメリカ合衆国などの反対で失敗に終わりました。
19世紀末、メキシコのディアス大統領が鉱山開発など近代化を進めました。
ディアス政権の下、経済は外国資本に支配され、社会の不正と富の偏在が顕著になりました。
#### メキシコ革命
1910~17年、メキシコ革命
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17年、メキシコ革命 外国資本と結び付いて独裁体制を敷いたディアス 大統領の打倒を目指した、ラテンアメリカ最初の民主主義革命
革命中、メキシコは不安定な状況が続きました。
アメリカ合衆国のウィルソン大統領は、事態への介入を目的に海兵隊をメキシコへ派遣しました。
しかし、この試みはメキシコ側から反発を受け、撤退を余儀なくされました。
1917年、メキシコで民主的な憲法が制定され、土地改革 (大土地所有の禁止 ) ・政教分離・大統領権限の強化が決まりました。
メキシコ革命は終結しましたが、ラテンアメリカ諸国に影響を与えました。
列強の二極化
ドイツの対立国
#### ロシア・フランス1890年、ドイツ はロシアとの再保障条約を破棄し、積極的な海外膨張策「世界政策」を採りました。
一方、ロシアはドイツに反発し、工業化の資本を得るためにフランスに接近しました。
1891~94年、露仏同盟
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1~94年、露仏同盟 ロシアとフランスの軍事同盟
#### イギリス
ドイツは、次の2点でイギリスと対立を深めました。
- 3B政策
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ベルリン(Berlin)・ビザンチウム(Byzantium)・バクダード(Baghdad)の3都市を鉄道で繋ぎ、西アジアへの進出を図るドイツの政策
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- 建艦競争
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イギリスとドイツ間の海軍力増強の争い
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イギリスの協力国
#### 日本長い間、イギリス は他国と同盟を結ばない「光栄ある孤立」を採りました。
しかし、東アジアで南下政策を進めるロシアを警戒し、日本に接近しました。
1902年、日英同盟
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、日英同盟 義和団事件の終結後も中国東北部に駐留を続けるロシア を、日本とイギリスが脅威とみなして結んだ同盟
#### フランス
1904年、英仏協商
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、英仏協商 ドイツの進出に対抗するため、イギリスとフランスが結んだ協力関係
#### ロシア
日露戦争後、ロシアは東アジアでの南下政策を諦め、バルカン半島での南下政策を始めました。
結果、ロシアは同じくバルカン半島への進出を狙うドイツ・オーストリアと対立しました。
この対立関係上、かつて敵対したイギリスとロシアの関係は急速に和解に向かいました。
1907年、英露協商
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、英露協商 日露戦争後 、イギリスとロシアの勢力範囲を決めてアジアでの両国の対立を解消し 、ドイツの進出に対抗した協力関係を形成した協約
対立する2大陣営
#### 三国協商イギリス・フランス・ロシアの3国の関係は、次の協商・同盟に基づき、三国協商 と呼ばれました。
- 1891~94年、露仏同盟
- 1904年、英仏協商
- 1907年、英露協商
三国協商は、ドイツ・オーストリア・(イタリア)の三国同盟と対立しました。
#### 三国同盟
ドイツ・オーストリア ・イタリアの3国の軍事同盟は、三国同盟 と呼ばれました。
しかし、イタリアは「未回収のイタリア」をめぐってオーストリアと対立しました。
イタリアは三国協商側のフランスに接近しました。
結果、三国同盟の実態は、ドイツ・オーストリアの2国の同盟でした。
第一次世界大戦開戦時、イタリアは同盟の一員であるにもかかわらず中立政策を採用

三国協商・三国同盟
