世界史No.85 中国分割と日露戦争
中国分割
遼東半島返還の見返り
1895年、三国干渉
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、三国干渉 ドイツ ・フランス ・ロシア が、日本に遼東半島を清へ返還するように勧告した事件
1896年、返還に貢献したことの見返りに、ロシア は清から東清鉄道の敷設権を得ました。
東清鉄道
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1898~1903年にロシアが満州に敷設した鉄道
半植民地化
日清戦争後、清は賠償金の支払いのために、西欧諸国からの借款(政府間の資金貸与)に頼りました。
19世紀後半、西欧諸国は借款の担保に、中国各地を租借(一定期間の領土借用)しました。
#### 諸国の租借地
ドイツ :山東半島の膠州湾
ロシア :遼東半島の旅順・大連
イギリス :山東半島の威海衛、九竜半島
フランス :広州湾

諸国の租借地
1899年、国務長官ジョン=ヘイ は、中国市場へ割り込むために次の3原則を提唱し、他国を牽制しました。
- 門戸開放
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中国における商業活動の自由
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- 機会均等
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中国における参入機会の均等化
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- 領土保全
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中国における主権と領土の侵害禁止
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清の改革と再度の失敗
日清戦争の敗北を受け止め、清で康有為 が日本の明治維新をモデルとした改革変法運動 (変法自強運動)を進めました。
康有為は、変法運動を通して立憲君主制を目指しました。
1898年、康有為は光緒帝を説得し、戊戌の変法を断行させました。
1898年、戊戌の政変
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、戊戌の政変 改革に反対する保守派が西太后 と結んで起こしたクーデタ
排外運動の激化
1860年、北京条約
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、北京条約 天津条約に追加された、アロー戦争のもう一つの講和条約
ロシアはアロー戦争の調停を機会に沿海州 を取得
条約で認められたことで、多くの宣教師が清の内地に入りました。
時に強引な宣教師の布教活動は、各地で反キリスト教運動仇教運動 を招きました。
最も強く反発した宗教的武術集団義和団 は、「扶清滅洋 (清政府を助け、外国を滅ぼす)」を唱えて教会を襲いました。
義和団事件と半植民地化の加速
1900~01年、義和団事件
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01年、義和団事件 山東省で 勃発して各地に広がった義和団の外国人排斥運動
1901年、北京議定書
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、北京議定書 義和団事件後、清が出兵した8ヵ国と結んだ協約
日露戦争
強まるロシアの脅威
#### 朝鮮の独立と親露派の政権1895年の下関条約で、朝鮮は清から独立しました。
三国干渉で日本を弱体と見た朝鮮では、親露派が台頭して政権を樹立しました。
1897年、親露派の政権は朝鮮が独立国と示すために、国号を大韓帝国 と改めました。
#### 満州の占領
ロシア は、1900~01年の義和団事件に乗じて満州を事実上占領しました。
同盟の結成
イギリス・アメリカ合衆国は、ロシアの南下を警戒しました。
しかし、1900年代初頭のイギリスは南アフリカ戦争に追われ、余裕がありませんでした。
1902年、日英同盟
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、日英同盟 ロシア の東アジア進出に対抗した日本とイギリスの同盟

ビゴーの風刺画*イギリスとアメリカが日本をロシアに立ち向かわせる
1905年、ポーツマス条約
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、ポーツマス条約 日露戦争の講和条約
日本は南満州の鉄道経営のために南満州鉄道株式会社を設立
戦後の関係改善
日露戦争後、ロシアは東アジアでの南下政策を諦め、バルカン半島での南下政策を始めました。
ロシアの方針転換は、日本・イギリスとの関係を改善し、次の協約が実現しました。
- 1907年、日露協約
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日本とロシアの勢力範囲を取り決めた協約
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- 1907年、英露協商