世界史No.88 第一次世界大戦
バルカン問題
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの併合
オーストリアは、パン=スラヴ主義が国内のスラヴ人を独立運動に走らせることを警戒しました。
そのため、オーストリアはバルカン半島付近のセルビアなどスラヴ人の国の台頭を抑えようとしました。
1908年、青年トルコ革命
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、青年トルコ革命 オスマン帝国の青年トルコが、ミドハト憲法の復活と専制政治の打倒を目指した革命
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの2州にはスラヴ人が多く、スラヴ人の国セルビアへの編入を望んでいました。
オーストリアによる併合は、スラヴ人から強い反発を招きました。
バルカン戦争
ロシア は、スラヴ人の団結と独立を目指すパン=スラヴ主義 を唱えて、バルカン半島の民族問題に干渉しました。
1912年、ロシア はオーストリアのバルカン半島進出を防ぐため、次の4国のバルカン同盟 結成を支援しました。
- ブルガリア
- ギリシア
- セルビア
- モンテネグロ
1912~13、第一次バルカン戦争
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13、第一次バルカン戦争 バルカン同盟が、イタリア=トルコ戦争に乗じてオスマン帝国に宣戦
1913年、第二次バルカン戦争
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、第二次バルカン戦争 第一次バルカン戦争のブルガリアの獲得領土が過大であるとして、他のバルカン同盟(ギリシア・セルビア・モンテネグロ)・オスマン帝国がブルガリアを攻撃
ヨーロッパの火薬庫
バルカン半島は、オーストリアやロシア、半島の諸国、オスマン帝国が、激しく争う場所となりました。
このことから、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれました。
第一次世界大戦
大戦の勃発
1914年6月、サライェヴォ事件
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6月、サライェヴォ事件 オーストリア の帝位継承者夫妻が、ボスニアの州都サライェヴォでセルビア人青年に暗殺された事件
1914年7月、オーストリア はドイツの支持を受け、セルビア に宣戦布告しました。
反対にロシアはセルビア支援を表明しました。
諸国も同盟・協商関係で宣戦しました。
1914~18年、第一次世界大戦
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18年、第一次世界大戦ドイツ・オーストリア・ブルガリア ・オスマン帝国の同盟国側4ヵ国と、フランス・ロシア・イギリスなど協商国側27ヵ国の戦争
イタリア
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三国同盟の一員であるにもかかわらず中立政策
大戦の展開
#### 西部戦線同盟国側の ドイツ が中立国ベルギーに侵入しました。
さらにドイツは北フランスに侵入しましたが、1914年9月のマルヌの戦い で敗れました 。
以後、両国の軍が塹壕にたてこもり、戦車・航空機・毒ガスなど新兵器を投入し、一進一退を繰り返す戦況となりました。

新兵器・塹壕
ドイツはロシアへ侵攻しましたが、広さや厳しい気候を前に決着がつきませんでした。
大戦下の奇跡-クリスマス休戦1914年12月25日、世界的なドイツのテノール歌手キルヒホフが、ドイツ兵の慰問に西部戦線を訪れました。彼が「Stille Nacht(きよしこの夜)」を歌うと、歌声に気づいたフランス兵士が賞賛を送りました。両軍の兵士の緊張は自然と解け、塹壕から這い出て祝い合いました。交流は別所でも起こり、イギリス兵とドイツ兵のサッカーの親善試合もありました。終戦までに1度だけ起きた奇跡的出来事でした。

戦時外交
同盟国・協商国は、中立国を味方に引き入れるために、大戦後の領土拡大や自治・独立を条件とする次のような秘密条約を結びました。
- ロンドン秘密条約
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協商国が、中立宣言をしたイタリアに対し、「未回収のイタリア」の割譲を約束して参戦を求めた条約
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- サイクス=ピコ協定
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イギリス・フランス・ロシア間でオスマン帝国領の分割を決めた協定
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総力戦
大戦が膠着状態に陥り、各国では国力を戦争に傾ける総力戦体制がとられました。
各国政府は、軍需工業の優先、女性や青少年の軍需工業への動員、食料配給制などを実施しました。
植民地をもつ国々は、植民地から兵や労働力を動員でき、緩やかな統制で済みました。
一方、できなかったドイツ・オーストリア・ロシアでは厳しい統制が敷かれました。
人々は厳しい統制に不満を募らせ、食糧暴動や反戦ストライキを度々起こしました。
大戦の転機
#### アメリカ参戦イギリス・フランスの海軍は、海外とドイツの海上輸送を封鎖しました。
1917年、ドイツ が無制限潜水艦作戦を開始し、敵国に関係すると思われる船を、国籍や民間船か否かを問わずに無警告で撃沈しました。
1917年、アメリカ はこの作戦で被害を受け、協商国側としてドイツに宣戦しました。

Uボード
皇帝・国会は十分な対策をとらず、国民の不満が増大しました。
1917年3月、三月革命 (ロシア二月革命 )
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3月、三月革命 (ロシア二月革命 ) 労働者・兵士が組織したソヴィエトが、ロマノフ朝の皇帝ニコライ2世 の退位、帝政の打倒を実現した革命
三月革命
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革命前までロシアで使用されていたユリウス暦(ロシア暦)では二月革命
1917年11月、十一月革命(十月革命)
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11月、十一月革命(十月革命)レーニンらが武装蜂起を指揮して、戦争を継続する臨時政府を倒した革命
十一月革命
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革命前までロシアで使用されていたユリウス暦(ロシア暦)では十月革命
1918年3月、ブレスト=リトフスク条約
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3月、ブレスト=リトフスク条約 ロシア のソヴィエト政権とドイツ との間で結ばれた講和条約で、ロシアは不利な条件で第一次世界大戦から単独離脱
大戦の終結
1918年8月、協商国側が反撃を開始しました。
同盟国側のブルガリアとオスマン帝国が降伏、オーストリアが休戦協定を結びました。
1918年10月、ドイツは休戦交渉を申し出るとともに、議会政治を整えて帝政維持の道を模索しました。
1918年11月、ドイツ革命
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11月、ドイツ革命 ドイツのキール軍港での水兵反乱をきっかけとした 革命で、ドイツの帝政を打倒し 共和国を樹立
1918年11月、ドイツの共和国政府は協商国側と休戦協定を結び、第一次世界大戦は終結しました。
