世界史
No.89 ソ連の成立

ロシア革命

帝政の崩壊と臨時政府の樹立

第一次世界大戦の開戦以来、ロシアは敗北を重ね、食料・燃料不足に陥りました。
皇帝・国会は十分な対策をとらず、国民の不満が増大しました。
1917年3月、三月革命 ロシア二月革命 ) :::lead 3月、三月革命 ロシア二月革命 ) 労働者・兵士が組織したソヴィエトが、ロマノフ朝の皇帝ニコライ2世 の退位、帝政の打倒を実現した革命
三月革命 :::lead 革命前までロシアで使用されていたユリウス暦(ロシア暦)では二月革命

ソヴィエト政府の樹立

三月革命で樹立した臨時政府は、第一次世界大戦を継続しました
ソヴィエトも祖国防衛のために戦争継続を容認しました。
この時期のロシアでは、権力をもつ臨時政府とソヴィエトが同時に存在したため、二重権力という状態が発生しました
1917年4月、ボリシェヴィキの指導者レーニンは、革命をさらに進める方針四月テーゼ を発表しました。
ソヴィエトの多数派が臨時政府に妥協的だったので、レーニンはソヴィエト内部で権力を奪っていきました。
これにより、レーニンは臨時政府の首相となったケレンスキー と対立しました。
1917年11月、十一月革命十月革命) :::lead 11月、十一月革命十月革命)レーニン・トロツキーらが武装蜂起を指揮して、、臨時政府を倒した革命
十一月革命 :::lead 革命前までロシアで使用されていたユリウス暦(ロシア暦)では十月革命
1918年、樹立したソヴィエト政府は、次の2つの布告を出しました。
- 平和に関する布告 :::lead 無併合・無償金・民族自決の和平を交戦国に発表 ::: - 土地に関する布告 :::lead 地主の所有する土地を無償で没収するなど、土地の私有権を廃止 :::

ソヴィエト政府と共産党一党独裁

第一次世界大戦からの離脱

東部戦線を有利にしたいドイツは、ソヴィエト政府の「平和に関する布告」に応じて交渉に入りました。
1918年3月、ブレスト=リトフスク条約 :::lead 3月、ブレスト=リトフスク条約 ロシア のソヴィエト政府とドイツ との間で結ばれた講和条約で、ロシアは不利な条件で第一次世界大戦から単独離脱

共産党の一党独裁

十一月革命後の憲法制定議会でボリシェヴィキが第一党になれず 、レーニンは武力で議会を閉鎖・解散させました。
ボリシェヴィキは共産党 と改称され、ソヴィエト政府で一党独裁をおこないました。
憲法制定議会 :::lead 会十一月革命後の普通選挙で選出された最初の議会
ソヴィエト政府は、地主からの土地の無償没収と農民への分配、重要な産業や銀行の国有化 をしました。

世界革命の失敗

レーニン・トロツキー は、ロシアの社会主義の成功には、世界の資本主義国での革命「世界革命」が必要と考えました。
1919年、世界革命を目的にコミンテルン 第3インターナショナル)が結成されました。
しかし、革命はいずれも長続きせず、アジアの民族運動の支援も中国を除き失敗しました。
世界革命 :::lead 反対する スターリンは一国社会主義を唱えてトロツキーと対立し、実権掌握後にトロツキーを追放・粛正

干渉戦争

ロシア革命後、帝政派やボリシェヴィキに反対する人々は、ソヴィエト政権との間で内戦を起こしました。
協商国は、革命が自国に及ぶことを恐れ、反革命軍を支援しました。
日本 :::lead シベリア出兵(対ソ干渉戦争)に参加し 、1922年に撤退
ソヴィエト政府は正規軍赤軍 を組織し、チェカ 非常委員会)を設置して反革命勢力を取り締まりました。
また、ソヴィエト政府は、食料を強制的に徴収する戦時共産主義政策 を実施しました。
1920年には反革命勢力がほぼ制圧され、協商国の軍も撤退を始めました。

ソ連の成立

ネップ

ソヴィエト政府の戦時共産主義政策は、農民の強い不満を呼びました。
レーニンは新経済政策 ネップ)を実施して、穀物徴発を廃止し、余剰農産物の自由販売と企業の私的営業を許可しました。
一定の範囲で資本主義的な活動を認めたことで、生産意欲が刺激され、1927年頃までに生産は戦前の水準に回復しました。

ソヴィエト社会主義共和国連邦

1922年、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースは、連合してソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)を結成しました。