世界史No.95 トルコとイスラーム諸国の動向
トルコ革命
亡国の危機
第一次世界大戦において、同盟国のオスマン帝国は敗北しました。
オスマン帝国は、次の大戦中・大戦後の取り決めで崩壊寸前の状況に置かれました。
- 1916年5月、サイクス=ピコ協定
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イギリス・フランス・ロシア間で大戦後のオスマン帝国領の分割を決めた協定
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- 1920年8月、セーヴル条約
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第一次世界大戦における協商国とオスマン帝国の講和条約
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委任統治
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植民地形成が大戦の一因のため、国際連盟からの「委任」と表現
ギリシアの侵攻と祖国解放の戦い
1919年、ギリシアがオスマン帝国の混乱に乗じて、アナトリア半島(小アジア)西部の都市イズミルを占領しました。
オスマン帝国軍人ムスタファ=ケマルは、大国民議会(アンカラ政府)を組織し、抵抗運動を指導しました。
1922年、ムスタファ=ケマルは、イズミル を奪回してギリシアを撤退させました。
トルコ共和国の樹立
ギリシアの撃退後、大国民議会は次のことを実施しました。
- 1922年、スルタン制廃止
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オスマン帝国の滅亡
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- 1923年、ローザンヌ条約締結
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セーヴル条約破棄を宣言した大国民議会と協商国が締結した新たな講和条約
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1923年、大国民議会はトルコ共和国 の樹立を宣言しました。
ムスタファ=ケマル がトルコ共和国の初代大統領に選出されました。
#### 首都
ムスタファ=ケマルは、旧オスマン帝国の首都イスタンブルを避け、アンカラ を首都と定めました。
#### 憲法
1924年、ムスタファ=ケマルは共和国憲法を発布しました。
#### 政教分離
1924年、ムスタファ=ケマルはカリフ制を廃止して政教分離を実施しました 。
#### その他近代化の政策
ムスタファ=ケマルが、次の近代化政策を推進しました。
- イスラーム暦にかわって太陽暦を採用
- 女性参政権を実現(女性の地位向上)
- アラビア文字にかわってトルコ語のローマ字表記を採用

ローマ字の読み書きを教えるムスタファ=ケマル
1922年、イギリスが保護権を放棄し、エジプト の独立を認めました。
しかし、イギリスがスエズ運河の支配権などの特権を手放さず、エジプト王国の独立は形式的なものでした。
1936年、エジプト=イギリス同盟条約
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、エジプト=イギリス同盟条約イギリスがエジプト王国の主権を認めた条約
アフガニスタン
1919年(第一次世界大戦後 )、第3次アフガン戦争
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(第一次世界大戦後 )、第3次アフガン戦争イギリスの保護国であったアフガニスタンが、イギリスからの独立を果たした戦争
イラン
第一次世界大戦後、カージャール朝ペルシアでは、レザー=ハーンがクーデタによって実権を握りました。
1925年、レザー=ハーン はカージャール朝を廃し、パフレヴィー朝 を開きました。
1935年、パフレヴィー朝は他称であった国名「ペルシア」を「イラン」に改めました。
パフレヴィー朝イランは近代化に努めましたが、イギリス資本が石油資源を支配し続けました 。
サウジアラビア王国
1932年、イブン=サウード はアラビア半島のほぼ統一を果たし、サウジアラビア王国 を建国しました。
イラク・ヨルダン・レバノン・シリア
イギリス・フランスの委任統治になっていた次の国々が独立しました。
- 1932年、イラクがイギリスの委任統治から独立
- 1946年、ヨルダンがイギリスの委任統治のトランスヨルダンから独立
- 1943年、レバノンがフランスの委任統治から独立
- 1946年、シリアがフランスの委任統治から独立
パレスチナ問題の始まり
第一次世界大戦中、イギリス はアラブのパレスチナについて、次の3方向と矛盾する条約を結びました。
- 1916年、サイクス・ピコ協定
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イギリス・フランス・ロシアで、アラブ地域分割とパレスチナの国際管理を決めた条約
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大戦後、パレスチナはイギリス の委任統治になりました。
アラブ人・ユダヤ人は、パレスチナについてそれぞれの主権を主張して衝突しました。
三枚舌外交
