日露戦後経営
表記について
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概要
1900年代初期の約12年間、桂太郎と立憲政友会の西園寺公望が交互に内閣を組織し、藩閥官僚勢力と政党勢力の提携と抗争が続きました。この時代は「桂園時代」とも呼ばれ、日英同盟成立から日露戦争、そして韓国併合に至りました。日本の国際的地位の向上は目覚ましく、また、日本を取り巻く国際関係も大きく変化しました。日露戦争が変えた国際関係
同盟と協商の変化
日露戦争後、ロシアは東アジアでの南下を諦め、矛先を再び西側へ向けました。
ロシアはバルカン半島を狙い、同半島を狙うドイツと対立を深めました。
上記の動向に応じて、国際関係は次のように変化しました。
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英―独
両国が海軍力増強を目指す「建艦競争」で対立
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日―米
アメリカが満州の市場に関心を示し、日本が共同経営を拒否して急速に対立
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英―露
ドイツとの対立から、英露協商を結んで急速に接近
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日―露
満州の互いの利権をアメリカから守るために、第1~3次日露協約を結んで急速に接近
日露戦争前後の国際関係
*左:戦前/右:戦後
清の滅亡
漢人の孫文は、日露戦争での日本の勝利に励まされました。
孫文は、「民族(満州人の王朝清の打倒)・民権(共和国の建設)・民生(貧富の差の抑制)」の三民主義を理念に、その実現を目指しました。

孫文
1911~12年、辛亥革命
孫文を臨時大総統とする中華民国が成立し、清の打倒と皇帝溥儀の退位を実現した革命
孫文は、軍閥の首領袁世凱の協力で溥儀の退位を実現したため、見返りに臨時大総統の地位を袁世凱に譲りました。
軍閥
中国において、自分自身の軍隊を養い、地方を支配した軍人

袁世凱
桂園時代
政界の第一線からの引退
老齢の山県有朋や伊藤博文は、政界の第一線から退きました。
彼らは、非公式に天皇を補佐する元老として首相の選任権を握りました。
山県と伊藤の後継者
1901年から10年間以上、山県有朋の後継者桂太郎と伊藤博文の後継者西園寺公望が、首相を交互に務めました。
この時期を2人の苗字から1字ずつとって桂園時代と呼びます

桂太郎

西園寺公望
第1次桂太郎内閣|1901年6月~1906年1月
1901年、山県の後継者桂太郎が、藩閥官僚中心の内閣を組織しました。
日英同盟協約締結から日露戦争を経てポーツマス条約締結に至る長期政権となりました。
しかし、日比谷焼打ち事件で支持を失い、総辞職しました。
第1次西園寺公望内閣|1906年1月~1908年7月
伊藤博文の後継者西園寺公望は、立憲政友会の総裁となりました。
西園寺公望は、鉄道・港湾の拡充を掲げ、着実に支持を集めていきました。
1906年、政党内閣である第1次西園寺公望内閣が組織され、次のことを実施しました。
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1906年、鉄道国有法制定
軍事上・経済上の目的から鉄道輸送を画一化するために鉄道を国有化した法令
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1906年に片山
潜
らが結成した日本社会党の存続を容認
日本社会党内で、革命などで社会主義実現を目指す直接行動派が、議会を通じた実現を目指す議会政策派に勝ると、遂に強制解散
社会主義
計画的な生産と富の均等配分で、貧富の格差消滅を目指す思想
無政府主義
国家の政治権力を一切否定し、個人の完全な自由を目指す思想
1901年に片山潜・幸徳秋水・安部磯雄・木下尚江らが結成した日本初の社会主義政党社会民主党は、第2次山県有朋内閣で成立した治安警察法で即座に強制解散
鉄道の発展
*1906年の鉄道国有法で国有鉄道の急増
社会主義の取締りに対する批判を浴び、第1次西園寺公望内閣は総辞職しました。
第2次桂太郎内閣|1908年7月~1911年8月
第2次桂太郎内閣は、次のことを実施しました。
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1908年、
戊申詔書
発布
日露戦争後に芽生えた享楽的民心の是正に、倹約・勤労を説いた天皇の文書発布後、疲弊した地方自治体の財政再建・民心の向上などを目指し、政府(内務省)は地方改良運動を実施地方改良運動の一環として、近世の共同体の名残(青年の組織など)を、新しい行政単位で再編成(青年会など)地方改良運動の一環として、軍隊の地域社会での基盤を強化するために、1910年、予備役・後備役・退役の軍人の団体帝国在郷軍人会を設立
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1910年、大逆事件
天皇暗殺計画の発覚を機に、全国の社会主義者・無政府主義者を検挙し、うち幸徳秋水ら26名を大逆罪とし、翌年、その死刑を執行以後、社会主義運動は「冬の時代」と呼ばれる不振期に突入事件後、思想犯・政治犯を取り締まる警察特別高等警察を設置
- 1910年、韓国併合
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1911年、工場法制定
工場労働者保護のため、事業主に義務を課す法律
- 1911年、外相小村寿太郎が関税自主権を完全回復

戊申詔書
帝国在郷軍人会
政策実行の成果が出たとして、第2次桂太郎内閣は総辞職しました。
