江戸幕府による統制
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概要
江戸幕府は、大名・朝廷・宗教など様々な方面に対する統制をとりました。「禁中並公家諸法度」で天皇・公家の行動を制限し、これに反目した紫衣事件を契機に、さらに厳格な態度で朝廷に臨みました。また、豊臣政権で不徹底に終わったキリスト教の取締りを強化し、寺院に民衆全員を所属させることで信教面を管理しました。大名への統制
幕府による統制
大名は幕府から次のような統制をうけました。
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参勤交代
国元と江戸とを1年交代で往復
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手伝普請
河川の改修などの負担
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軍役
軍事力や兵糧の提供
藩の支配体制
江戸時代の大名の領地とその支配機構を、今日では藩と呼びます(大名=藩主)。
江戸時代初期、大名は領地を分割して有力武士に与え、土地・人民支配を認めました。
このような藩の体制を地方知行制と呼びます。
地方知行制
1615年、大御所徳川家康が一国一城令を発令しました。
藩内の支城を拠点にする有力武士が弱体化し、大名に対抗できなくなりました。
地方知行制が廃止され、大名の領内一円支配が17世紀半ばまでに一般化しました。
有力武士は大名の家臣団に組み入れられ、城下町に居住して藩政を分担しました。
今日、大名の家臣を藩士(陪臣)と呼称
領内一円支配
藩士の収入
地方知行制では、有力武士は支配する土地からの年貢を収入としました。
領内一円支配で有力武士が藩士となると、彼らの収入は消滅しました。
藩は蔵入地(直轄領)からの年貢米を、藩士に俸禄として支給しました。
この支給制度を俸禄制度と呼びます。
俸禄
蔵米と別称され、その支給にちなんで藩士を蔵米取とも呼称
俸禄制度
朝廷への統制
徳川家康による統制
1611年、徳川家康は後水尾天皇を擁立し、朝廷に対する優位を示しました。
京都所司代が朝廷の監視を担当
公家から2人が武家伝奏に選ばれ、朝廷・幕府の連絡役を担当

後水尾天皇
1613年、公家衆法度制定
公家の務めとして、家業と禁裏小番(昼夜の宮中警備)を命令
1615年、禁中並公家諸法度制定第一に学問(天皇家の先例に関する知識)に励むべきこと、
僧に紫衣着用の勅許を勝手に出してはいけないこと
金地院崇伝が起草したもので、朝廷運営の基準を明示
天皇に対する次の①②のような行動規制

紫衣
徳川秀忠による統制
2代将軍徳川秀忠は、娘和子(東福門院)を後水尾天皇に
入内させました。
朝廷に残されていた権限(改元・改暦など)も、幕府の承諾が必要となりました。
1627年、紫衣事件
後水尾の勝手な紫衣着用の勅許を幕府が取り消させ、これに抗議した大徳寺の沢庵や妙心寺の東源らを処罰した事件
1629年、後水尾が秀忠の孫娘明正天皇に突然譲位しました。
秀忠と明正の関係上、幕府はこれを追認しましたが、以降朝廷統制は一層強まりました。

沢庵(1573~1646年)
臨済宗の僧。勅許を得た高位の僧のみが着用する紫衣に関し、幕府の過干渉を批判しました。漬物「沢庵」は沢庵考案とされます。
臨済宗の僧。勅許を得た高位の僧のみが着用する紫衣に関し、幕府の過干渉を批判しました。漬物「沢庵」は沢庵考案とされます。
宗教への統制
仏教への統制
17世紀前半、幕府は宗派ごとに寺院法度を出し、その宗派の末寺を管理させました。
各宗派の本山・本寺の傘下に末寺全てを置く制度を本末制度と呼びます。
1665年、幕府は諸宗寺院法度を出し、宗派を越えた共通の仏教統制を始めました。
17世紀半ば、明僧隠元隆琦の伝えた黄檗宗が新しい宗派として登場
神道への統制
1665年、幕府は諸社禰宜神主法度
を出し、神社・神職の統制を始めました。
公家の吉田家を筆頭にして統制を任せました。
キリスト教への統制
1612年幕領に、翌年全国に禁教令を出して、キリスト教の信仰を禁じました。
以降、幕府や諸藩は宣教師や信徒に対して、次の①②のような迫害を加えました。
- 1614年、大名高山 右近 をマニラへ追放(他300人ほど国外追放)
- 1622年、 元和 の 大殉教 (長崎の宣教師・信徒の処刑)

高山右近
1637~1638年、島原の乱
九州の藩の大名による苛酷な年貢賦課と信徒弾圧に、百姓が抵抗して起こした一揆益田時貞(天草四郎時貞)が首領となり、原城跡を抵抗に利用
島原半島と天草島は、キリシタン大名の有馬晴信・小西行長の元領地

益田時貞

原城包囲の図
幕府は女性・子ども問わず、宗門改めと総称される次の2つの政策を実施しました。
- イエスや聖母マリアの絵を踏ます絵踏の強化
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寺請制度(寺檀じだん制度)
寺院が民衆を檀家として所属させ、宗門改帳 でキリシタンでないと証明する制度
檀家
葬祭供養を任せる代わりに、寺院を支援する一家のこと
寺請制度
江戸時代に弾圧の対象となった日蓮宗の不受不施派の取締りにも効果あり

踏絵
史料
禁中並公家諸法度
原文
一天子諸芸能の事、第一御学問也。……
一摂家為りと雖も、其器用無きは、三公摂関に任ぜらるべからず。況んや其外をや。
一武家の官位は、公家当官の外為るべき事。
一改元、漢朝の年号の内、吉例を以て相定むべし。……
一紫衣
の寺住持職、先規希有の事也。近年猥りに勅許の事、……甚だ然るべからず、向後に於ては、其器用を撰び、……申し沙汰有るべき事。
現代語訳
一、天皇が修めなければならない諸芸能の第一は学問である。……
一、五摂家出身の人物であっても、能力のない者は三公・摂関に任命してはならない。ましてやそれより下の家柄の者はいうまでもないことである。
一、武家に与える官位は、公家の在官者とは別に扱うこととする。
一、年号を改めることについては、中国の年号から、縁起の良いものを定めよ。……
一、紫衣を許される寺の住職は、以前はきわめて少なかった。しかし、近頃はやたらに勅許されている。……はなはだけしからぬことである。以後は、その能力をよく吟味して……任命すべきである。
